豊臣秀長に学ぶ 優秀なナンバー2の条件とは?

成長企業には必ず優秀なナンバー2がいる

まさにその言葉がピッタリな人が日本の戦国時代にいました。

 

豊臣秀吉の弟の豊臣秀長です。

 

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誰、それ?と思う方が多いと思いますが、あまり有名でないということが、彼が優秀なナンバー2であった何よりの証だと思うのです。

 

自分の手柄はすべて兄のもの

秀吉の忠実な弟でありブレーンでもあった秀長が秀吉の天下統一に大きく貢献したのは間違いないのですが、具体的にどんな事をしたのか僕もあまり聞いたことがありません。

 

おそらく、秀長は自分の功績をすべて兄であり主君である秀吉に譲ってしまったのだと思います。

 

反対に秀吉にとって不都合なことを秀長がうまく処理していたのではないでしょうか。秀長はとても優秀な調整役で、困り事があると彼を頼る大名が多かったとも言われています。

 

おいしいところはナンバー1に、厄介な役目はナンバー2の自分が引き受ける。
 

常にそんな意識を持っていたんじゃないかと思うのです。

 

優秀なナンバー2を失った巨大新興企業の末路

秀長は、天下統一の後、秀吉よりも先に死んでしまいます。

 

それからの秀吉は『千利休切腹』、『関白であり甥でもある豊臣秀次の追放・切腹』、『朝鮮出兵』などで一気に評価を下げますが、そのすべてが秀長の死後数ヶ月から5年以内に起きているのです。そして、秀長の死から10年経たない内に秀吉も死に、関ヶ原の戦いが起きて豊臣家の権力は徳川家康に奪われてしまいます。

 

豊臣家は一代で急成長した大企業で、その成功の裏では謀略や裏切りなど汚い事もたくさんあったでしょう。でも、いまだに秀吉という人が日本人に愛され尊敬され続けているのは、常に秀吉にスポットライトが当たるよう黒子に徹した弟の存在があったからだと思わずにいられません。

 

秀長は、秀吉が木下藤吉郎と名乗っていた頃から兄を支え続け、大和郡山110万石の大大名、大納言にまで出世しました。人柄も良く、領民から『大納言さん、秀長さん』と呼ばれて慕われていたそうです。

今でも、彼の領国だった奈良県大和郡山市では『大納言祭』が行われています。

 

参考書籍・DVD

豊臣秀長―ある補佐役の生涯〈上〉 (文春文庫)

豊臣秀長―ある補佐役の生涯〈上〉 (文春文庫)

 

 

豊臣秀長―ある補佐役の生涯〈下〉 (文春文庫)

豊臣秀長―ある補佐役の生涯〈下〉 (文春文庫)